ここ数日、インターネットと距離を置いていた。
どのように受け止めたらよいのかも分からなくて、考える時間が欲しかった。出来事が急速に消費されていくその勢いに流されずに、自分の立ち位置・向き合い方を考えたかった。
涙は出ない。まだ信じられていないのだと思う。
翌2日崩れていた体調は回復してきたが、調子が戻ってくることが素直に喜べなくて、心の隅のほうでなんでこんなにすぐ、と思ってしまう。
気を紛らわそうとしているのか、少し金遣いの荒さが目立つ数日間だった。やや意図的に、自分に出来る範囲での「我慢しない」をやっている気もした。
SNSからは離れているのに、サバイバル番組のBOYS PLANET(以下ボイプラ)をみ始めて、あっというまにファイナル手前まできた。1話2時間以上もあるのに……。何かを観ているあいだは、目の前に差し出される情報を処理することに忙しくしていれば自分の考えと向き合わなくてよいため楽ですね。
サバ番のこと、憎んでいるのに観はじめたらその中毒性に絡め取られて確実に楽しめてしまうのが悔しい。ボイプラはプデュ*1と違って最終メンバー数が9人なので、「どう考えても枠が足りないだろ」と思う気持ちが強まる。
これの感想についてはそのうちpodcastで話す予定です。話さない場合はこちらに書くと思う。
悲しくて、むなしくて、寂しい。
数日離れていたら、急にSNSがいらなくなってきた実感があった。気のせいかも。でも自分がSNSで、というかネットに限らず、求めてきていたものってここにはないのかも〜と思い始めている。定期的にくる、誰のことも好きじゃないなのフェーズがきている。どんなに「事実」として「愛情」を受け取っていても、もういっかなと思ったら手放してしまえるんだろうな。外野ができることって何もない。
安達茉莉子さんがミュージシャンのご友人とされているPodcast番組で、「祈り」についてのお話をされていた。番組に届いていたおたよりのなかで、こんな言葉があった。
「祈り」というのは、自分を含む誰かや何かに捧げる時間そのものなのではないか。
これを聞いて、はっとした。しっくりきた。自分はこの数日SNSから離れて、他者と少し距離を置いて、このことをはじめとして、彼について考える時間を持とうとしていた。これが、私なりの向き合い方で、祈り方だ。
これで良いのだ、と思えた。
その他
- IELTSの勉強をしている。難しいけど、この試験は「不合格」がないから気が楽。すごく舐めた態度で準備をしているけど、できる範囲のことはしたほうがかっこいい。
- 中高時代からの友人が“入籍”*2した報告をもらう。引き続きこれまでの呼び名(彼女の苗字+さん付けのあだ名)でよいとのことで、一安心する。と同時に、「(やはり)彼女が苗字を変えたんだ」と思う。どういう経緯で彼女が苗字を変更することになったのかは聞いていないが、彼女が望む形になっていることを願う。
- 同居人の引越し日が決まった。本音をいうと、1日でも早く引越していってほしい。空いた部屋をどのように使うかの想像ばかりしている。
- 「誠意のなさ」に敏感な上に、それを感知してから「あ〜もういいです」になるまでが早すぎる。ちょっと落ちついた方がいいと思う。でも、相手の意図がどうであれそう感じた自分の気持ちにはあまり関係がないので、自分の感情は軽視しないようにしていく。
- ようやく運転免許証の住所変更を完了した。滞っていたあれこれを進めていきたい。