230219

というわけで、年が明けておりました。
あけましておめでとうございます。

【2023年の抱負】

  • 遅刻しない(昨年に引き続き。努力目標)
  • ブログを書く
  • 友人、家族ひとりひとりとの繋がりを大切にする(時間をかける)

今年はこれでやらせていただきます。上2つはどちらも昨年に引き続き目標に掲げていく。ブログは2022年は10本もエントリーできており、大事なのは数字ではなく継続すること…と思いつつも、やっぱり嬉しい。twitterとの使い分けについても少し考えながら、長めの文章を書くことに対する抵抗感を減らしていきたい。
3つめに関しては、「自分にとって大切なひとたちには大切であることを積極的に伝えていこう」の気持ちで立てている目標です。週末って月に4セットしかないし、体力・精神力にも限りがあるけど、それらが許す限り実施していきたい。いきます。

 

今日は久しぶりに長めに湯船に浸かった。
肩まで浸かっていたところ、汗もかいたし暫くしたら手が痺れてきて、血行が良くなったのを実感できたのがなんか新鮮だった。ちょっと不安にもなった。風呂場で身体の痺れを感じるのって大丈夫なのかしら……。でも肩から下って確かに日常生活ですごく温まる機会が少ないし、変な喩えだけど「詰まりがとれる」みたいな感覚もあったので、デトックスされたのだろうと肯定的に解釈することにした。

浴槽に浸かりながら、好きな音楽を流して歌ったり考え事をしたりしていたところ、ものすごく久しぶりにブログが書けそうな波動を感じたので、その波を逃すまえに急いで書き出さないと!と思って慌てて風呂からあがった。その勢いのままこれを書いています。
聴いてたアルバムはこちら

You Just Might Regret This

You Just Might Regret This

  • Swansea Skag
  • インディ・ポップ
  • ¥1528

music.apple.com

 

 

そもそも今日1日がdetoxって感じだった。
出会って13年(!)になる友人と、お互いの最寄駅沿線にある素敵なカフェでお茶をして、そのあとマックに移動してLサイズのポテトを分け合って食べて解散した。7時間も一緒にいたのに、いつものことながら全く話が尽きなくて、涙出てまともに喋れないぐらい笑って、お互いに貸したい本を渡し合った。

今日話したこと、全部頭から聴き直したいぐらい楽しかったので、以下備忘録として印象的だった話題を書き残す。思い出したら追記していく。

 

■おしゃべりの自覚

本当にここ最近になってようやく、「私ってものすごいおしゃべりなんだな…」ということに気が付いた。「ウチらってお喋りだよね〜(笑)」と思っていたひとたちも、私が勝手にそう思っていただけで、会話ってラリーだからボールがきたら打ち返すしかないから結果的にそうなっているだけだということが徐々に判明してきた。24年生きてきてようやくいま気づくの怖すぎ。数年前に一度家を訪れただけなのに、友人のご両親からいまだに「窓辺ちゃんはお喋りだった」という印象を持たれているのも、何を話したのか記憶がないのも全部怖い。
自分は喋りたいこと、言いたいことが常に次から次へと浮かんでくるのだけど、皆がこうってわけじゃないらしい。こういうのをブログに書くようにしたら遅筆も改善するのでは???

■宗教画ってファンアート

留学中にひとりで訪れた宗教画の美術館で、急に「宗教画ってファンアートなんだ」という気付きを得た話。宗教ってドのつくメインストリームで、ずっと旬ジャンルで、歴史があるからコンテンツがたくさんあって、色々な絵師をはじめとした芸術家がさまざまな解釈で二次創作しまくってて、考察が学問として成立していて、すごすぎる。大ハマりする人がいるのも頷ける。ハロプロにはまったオタクが「歴史がありすぎてどこから手をつけたらいいのかわからない」みたいなことを言っていたが、それの比じゃない。

■踏み絵=トレカ

これまで「トレカを集めたい気持ち」が理解できなかったけど、持ち歩いてみたら元気がもらえたという話から、持ってるだけで救われる気持ちになるというのって「お札」と類似しているね…となった。
「踏んだら助かるのに」踏み絵を踏めないのは、それを単なるモノとして認識してないというのと、周囲からジャッジされる(それを踏んだら本当に”推し”てないと見做される)圧力もあったからだろうねみたいな話をした。

■話が通じなくて怖い

今に始まったことではないが、連日政治界で飛び出す真正面からの差別発言に消耗する。どう考えても衝撃的すぎることが起きてるのに、それに対して特に何も変化がないまま、何事もなかったかのように日々が営まれているのが怖すぎる。フランスやイギリスでは労働者が賃金の底上げを求めて大規模なストライキを実施したニュースに関するツイートで、誰かが「民衆が声をあげて政治が変わった歴史を持つ国は(日本とは)違う」みたいなことを言っていたのを目にして、たしかにな〜と思った。学習性無気力。良くなる見込みが一切ないのに抵抗し続けること、声をあげ続けることが難しく感じる。

どうしてそれを言っていいと思っちゃったの?みたいなことばかり耳に入ってくるから、話が通じなさそうすぎて怖い。同じ言語を話しているはずなのにここまで見えてるものが違うと、分かり合えないと感じて絶望しちゃう。

 

■外見と内実の乖離の話

 

■TERFの思考の推察

「男性身体の持つ加害性」を根拠にTERFをするのって、結果的にその「男性身体=加害性」の構図を補強することに繋がってしまう。

 

■「正しさ」の押し付けの許容範囲

個人の思想にどこまで「正しさ」を求めてよいのか。問題は個人ではなく管轄する立場にいる人間や社会環境そのものだから、批判はそちらに向かうべきだよね〜という話。そこを無視して個人を攻撃するのって短絡的すぎる。

 

 

書きながら気づきましたが、私は自分にとっての「重要な他者*1のこと、「出会ってからの年数」を接頭語にして指すことが多いね。今月頭に視聴したトークイベント『友情と恋愛をわける必要ってある?クワロマンティックについて話してみよう』で登壇されていた関根麻里恵さんは、彼女の「重要な他者」たちに家族的な名付け(”シスター”、”ブラザー”、”双子”、”ばあや”など)をしているという話があったけれど、個人的には自分にとってはその名付けはあまりしっくりきていなかった。でも単なる「友達」に置き換わる呼称はあってほしいと思うので引き続き考えていきたいし、現状の傾向として「年数」をつけて話すのって、すごく自分のデミなところ(付き合いの長さと信頼の厚さが比例しており、重きを置いている価値観)が出ているな〜と感じられて面白い。

 

 

ここ最近は、今年5月に開催される文学フリマにて販売予定のzineのための準備をしているのが楽しい。デザインのことを考えるのも、初めて自分達でzineを作るのもわくわくするし、個人で書く予定のエッセイで書きたいこと/伝えたいことがうまく構成できるのか、そもそも人に見せられるレベルのものに仕上がるのか、不安半分期待半分でそわそわしている。

相変わらずやりたいこととやらなくちゃいけないことのバランスを取るのが難しい。器用にはなれなくても、ひとつずつこなしていきたい。

 

*1:cf.「クワロマンティック宣言」(中村香住 2021)、現代思想』2021年9月号。